なんか気になる( `・ω・´) その5
昔の番組「日本の素顔」の背景に迫る( `・ω・´)
瀬川昌昭、荻野吉和、青木賢児など報道番組の名ディレクターも輩出しました。
2代目デスク石黒清朗氏は「『日本の素顔』という番組名を発案した吉田君は理論家で、当時彼は『コメント・バック』という部内用の技術用語を使い、これがはやった。
コメント(主張したい言葉)をバックアップするために絵(映像)があるのだという意味の拮抗(きっこう)が重要なのだと語っていた」と、当時の熱っぽいふん囲気を説明した。
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昔の番組「日本の素顔」の背景に迫る( `・ω・´)
瀬川昌昭、荻野吉和、青木賢児など報道番組の名ディレクターも輩出しました。
2代目デスク石黒清朗氏は「『日本の素顔』という番組名を発案した吉田君は理論家で、当時彼は『コメント・バック』という部内用の技術用語を使い、これがはやった。
コメント(主張したい言葉)をバックアップするために絵(映像)があるのだという意味の拮抗(きっこう)が重要なのだと語っていた」と、当時の熱っぽいふん囲気を説明した。
今回も背景に迫ります( `・ω・´)
3代目デスク小池悌造氏は「午後1時から夕方まで、班会での議論が続き、あんなに討論し合う番組はないとうらやましがられました。
仕事以外何も考える余裕がなかった時代でした」と、スタッフの制作意欲がいかに高かったかを伝えてくれました。
事実、33年の「下水なき文化国家」「三軍の装備」「台風銀座」などの意欲作は熱気にあふれ「中央公論」での羽仁進氏と吉田直哉氏の"素顔論争"が社会的注目を浴びた。
36年4月報道局に移され、教育局スタッフは教育テレビで「現代の記録」を制作放送、39年4月「現代の映像」として新発足するまで、「日本の素顔」は306回、6年半続いたそうです。